サウンドオブハート
リベンジへ向けて好発進
1番人気に推された昨年暮れの阪神JFでは大外枠が災いして道中折り合いを欠いてしまい、直線での外からの強襲に抵抗する術もなく交わされたサウンドオブハート(牝3歳 父アグネスタキオン 母シンメイミネルバ 美浦・松山康久厩舎所属 タイヘイ牧場生産/提供)。そんな同馬が、この年末年始も変わりなく厩舎で調整され、様々な選択肢の中から、牝馬の出世レースとしても有名な紅梅ステークス(1月15日京都、牝馬限定3歳オープン・芝1400m)に出走しました。

 スタートを決めると道中は中団のインにつけて折り合いに専念。途中やや掛かり気味になる場面もありましたが、鞍上の武豊騎手が同じ轍は決して踏まないと、何とか折り合いをつけて満を持して直線へ。直線半ほどでは外にいたマイネボヌールに上手く閉じ込められる形で進路を失い、万事休すかと思われましたが、残り100m付近でマイネボヌールが抜け出して進路が空くと、そこから圧巻の瞬発力を発揮してマイネボヌール以下を瞬時に抜き去り、ゴール前では何と押さえる余裕すら見せて、3勝目を飾りました。

 松岡騎手の再度の落馬負傷により前走の阪神JFから引き続いてコンビを組んだ武豊騎手は「前走時よりも馬に落ち着きがあり、道中は前に壁を作れて折り合いもつきました。スローな流れで厳しかったですし、直線で進路がなくなった時は一瞬ヒヤッとしましたが、素晴らしい『切れ味』でしたね。今日の内容なら1600mでも大丈夫でしょう」とのことで、松山康久調教師は「(今日のような)ペースの遅いレースで脚をしっかりと溜められたのは意義があった。今後に繋がるレースが出来ました。こんな競馬が出来れば、1頭強い馬がいるけど本番でも肉薄は出来るんじゃないかな」と本番を意識したコメントが飛び出しました。

 さて、これで2歳時の芙蓉ステークスに続いて2つ目のオープン特別を制して、通算戦績を4戦3勝とした同馬。本賞金もしっかりと加算し、賞金面において桜花賞への出走をほぼ確実なものとしました。
レース後も変わりなく、疲労具合などを様子を見ながら松山調教師が慎重に判断した結果、「これなら放牧に出す必要はないですね」とのことで厩舎での調整を選択。
次走については、本番前に1走挟むか、直行するのかは今後の状態次第との話ですが、ここまで1度も放牧に出る事なく、ずっと松山調教師の手許で調整されていることからも、ダービー2勝トレーナーの本馬に賭ける『想い』が伝わってきますね。ご期待ください。
アルマヴィーヴァ
雌伏の時を乗り越えて2連勝
デビュー前の育成時とデビュー戦直後、2度にわたり骨折を経験し、長い雌伏の時間を余儀無くされていたアルマヴィーヴァ(牡4歳 父フィガロ 母アトリーチェ 川崎・池田孝厩舎所属 太田ファーム生産/チェスナットファーム提供)が、関係者の懸命の努力の甲斐あり、1月1日川崎、4歳( 十二)・ダート1400mで、復帰戦を迎えました。

 まずまずのスタートから最内枠を利してハナへ。そのまま道中はマイペースに持ち込むと、直線に向いてからも逃げ脚は衰えず、2着馬に0秒1差をつけて待望の初勝利を飾りました。

 騎乗した山崎誠士騎手は「道中マイペースの逃げをうてたのが、何より大きかったですね。ただ、まだキャリアも浅く、道中は遊び遊び走っていて、直線でもフワフワしていましたが、それでいて勝つのですから大したもの。将来がとても楽しみです」と、年始の第1レースを制した喜びと併せて話してくれました。

レ-ス後も変わりなく順調で、骨折による長期休養空けを叩かれたことで中間は上昇気配を色濃く感じさせ、続いて出走した1月25日川崎、4歳(五)・ダート1400mでも、前走よりも厳しい流れの中、2番手追走からしっかり直線で抜け出して快勝!2連勝を達成しました。

「前走よりも厳しい流れでしたが、それを克服してくれましたね。この前よりも馬が真面目に走ってくれました」と2勝目のレースについて話してくれました。今後にご期待ください。  
ジャスティシア
期待の4番仔が初陣!
かつてのターファイトクラブの看板娘・クロッサンドラ。その引退後はこれまでに3頭の仔を競馬場へと送り出し、初仔ステイドリーム、2番仔アデュラリアとそのうち2頭が準オープンにまで出世しました。そして期待の4番仔であるジャスティシア(牝3歳 父キングカメハメハ 母クロッサンドラ 栗東・平田修厩舎所属 ナカノファーム生産/提供)が、1月14日京都、牝馬限定3歳新馬戦・芝1600mでデビューいたしました。

 好スタートからハナへ立つと、道中は後続を引き連れてレースを引っ張り、直線に向いてからもその逃げ脚は衰えず、2番手にいた勝馬と馬体を併せながらの叩き合い。一旦は交わされてその後に差し返す根性を見せましたが、ゴール前で再度交わされてしまい、初陣はクビ差の惜しい2着という結果でした。

 騎乗した藤岡佑介騎手は「いい先行力があって最後までしっかりと食い下がっていました。初戦としては良い内容だったと思います」とのことで、「戦前の評価は低かった(9番人気)が、やはりこの血統は走るね。今日のところは勝馬が強かった」とのことです。

レース後も変わりなく調整され、2戦目は2月4日京都、牝馬限定3歳未勝利・芝1600mを予定。ご注目ください。 
-ローマンエンブレム
夢を紡ぎます
かつて京成杯を制し、皐月賞でも2番人気に押されたかつてのクラブ所属馬ローマンエンパイア。引退後は生産牧場である中島牧場のプライベート種牡馬のような形で種牡馬入りしていましたが、2年目以降不受胎続きだったため、一度は種牡馬引退も検討されました。しかし、僅か2頭の初年度産駒のうち、ヤングエンパイア(牡3歳 父ローマンエンパイア 母チョウカイパープル 美浦・田中剛厩舎所属 中島牧場生産/提供)がまず道営でJRA認定競走を勝つと、もう一頭のローマンエンブレム(牡3歳 父ローマンエンパイア 母ターフマジョリック 美浦・矢野英一厩舎所属 中島牧場生産/提供)が10月に行なわれたJRAの未勝利戦を快勝するに及んで、その種牡馬続行が決定したそうです。 さて、そんな孝行息子2頭が共に、1月14日中山、3歳500万下・黒竹賞・ダート1800mに出走しました。

 好スタートを切ったローマンエンブレムは果敢にハナへ立つ積極策。一方のヤングエンパイアは後方からレースを進めます。その後、ヤングエンパイアはやや追走に手間取る感じで、徐々に下がり気味になってしまい、 直線でも目立った伸びはなく13着と大敗してしまいましたが、レースの主導権を握ったローマンエンブレムは直線へ向いてからも脚色は衰えず、道中2番手を追走していた馬と鼻面を並べてゴールへ。写真判定の結果、惜しくも2着となりましたが、素晴らしい走りを見せてくれました。

 ローマンエンブレムに騎乗した田中勝春騎手は「出来ればハナに行ってくれとの厩舎からの指示。スタートも決まったのでそのまま逃げる形になりました。道中もいいペースで逃げれていたし、何とかなると思ったんだけどね。着差が着差だけに悔しいです」とのことで、ヤングエンパイアに騎乗した田中博康騎手は「道中はちょっと追走に苦労していました。多少トモに緩さがあるし、ちょっとクラス馴れが必要かもしれませんね」とのことでした。

 その後、それぞれ中1週で出走した次走では、ローマンエンブレム6着、ヤングエンパイア14着と結果は伴いませんでしたが、今後も父の名を高め、その思いと夢を2頭で紡いでいきます。 
 
表題未設定コラム2月号  ~「温故知新」~
 まったくもって突然だが、今シーズン限りで中日ドラゴンズの監督を退任した落合博満氏の"名言""語録"が話題になっている。監督時代の同氏はインタビュー嫌いで有名で、記者には大変評判が悪かったと聞く。
それでも、  どうしても話さなければならない状況になったとき、氏は野球に関してはほとんど直接的な話はせずに、人生論的な話を多くした。
 それが"語録"となって評価されている。

 そんな落合氏の名前を意外なところで見つけた。
 1983年3月号の月刊『優駿』。この頃の同誌には各界の著名人が競馬に関するエッセイを寄せるコーナーがあって、その中でプロ野球入団4年目にして三冠王のタイトルを取った落合博満氏が登場したのだ。
 ちょっとだけ分かりやすく時代背景を補足すると、83年3月というのは第2回ジャパンCが終わった翌年のこと。
 ここで落合氏は、自分はサラブレッドの生産、育成についてはシロウトであるとしながらも、「日本の野球が大リーグと互角に戦うことは不可能。でも日本の馬が勝つ日は必ずやってくる」と"予言"している。
 当時、スタートしたばかりのジャパンCは第1回、第2回ともに日本馬は完敗の内容だった。
 第1回ジャパンCでは当時の最強馬ホウヨウボーイ、モンテプリンスはどちらも掲示板に載ることすらできず(ゴールドスペンサーが5着に入っていたが)、ファンからは溜め息が洩れた。
 第2回ジャパンCは、第1回に比べて強力なメンバーが揃い、天皇賞(秋)をレコード勝ちしたメジロティターンは回避。
 レース前から一部に白旗ムードが漂った。
 レースは第1回とは正反対の展開となって超スローペースの流れから瞬発力争いになったものの、日本代表馬たちはまったく歯が立たなかった。
 このレースで日本最先着だったのは5着のヒカリデュール。
 この馬が有馬記念に勝って年度代表馬になったくらいだから能力の差は歴然だった。
 当時、競馬サークルの中では「日本の馬が勝つなんて、永久に不可能ではないか」という意見が多数を占めていた。
 そんな時代のことである。

   氏は「日本人の両親から生まれ、日本の社会環境の中で生まれ、育てられた日本人がアメリカ人と同じパワーとスピードを身につけることは不可能」と言い、その理由については、主に食生活の違いが大きいとしている。
 サラブレッドであれば、外国の馬と同じエサを食べさせ、同じような環境で徹底的に鍛えることで、それは克服可能だと指摘しているのだ。
 それから約30年の歳月が流れ、野球、そして競馬を取り巻く環境は、当時とは大きく変化したが、氏の"予言"が本質を鋭く突いていることに驚かされる。
 野球と競馬。
 同一線上で比べることは出来ないし、それぞれの評価は異なると思う。
 シンボリルドルフの時代はともかくディープインパクトやウオッカ、ブエナビスタでさえ勝利出来なかった競馬が世界に勝利したというのはおこがましいかもしれない。
 それでも思う。
 83年当時、日本と世界の差は生産段階の「血統の差」、「土壌の差」であり、競馬場の「馬場の差」であり、画一的なトレセンに代表される「扱いの差」であると指摘されたが、エサのことを最重要視した競馬ジャーナリストはほとんどいなかったと記憶している。
 そして、もっと驚くのは、この文中で「メートル」と「ハロン」の差についても触れている。恥ずかしながら、ぼくは「1ハロン=200m」と教えられ、ずっと信じてきた。
 日本の競馬記者の多くもそうだったと思う。
 両者に若干の差があると知られたのはオグリキャップが東京競馬場の2400mを2分22秒2で走破した1989年のジャパンカップ以降だったはずだ。
 社会人時代に東芝府中に所属していたとは言え、1人の競馬ファンという域は越えていない入団5年目を迎えようという29歳のプロ野球選手の知識、洞察力に改めて脱帽だ。
 そして、思う。
 落合監督の担当記者は大変だったろうなと。
 2012年。もっと貪欲にいかなければと、30年前の雑誌に教えられた。

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